Firenze バルジェロ美術館・ミケランジェロ広場・ピッティ宮殿

バルジェロ美術館・ミケランジェロ広場・ピッティ宮殿 フィレンツェ

 フィレンチェはそんなに大きな街ではありません。バルジェロ美術館から南にアルノ川を渡って、ミケランジェロ広場、そして、ルネッサンス時代にメディチ家のコジモ1世の妻エレオノーラが療養したピッティ宮殿までを記載します。バルジェロ美術館、ミケランジェロ広場、そしてピッティ宮殿です。
 バルジェロ美術館からミケランジェロ広場は少し距離があるので、バスを使う方が便利かもしれません。バルシェロ美術館からピッティ宮殿は街を散策しながら歩くことをお勧めします。ピッティ宮殿から市内へは、ヴェッキオ橋を渡って戻れます。

1.バルジェロ博物館 Museo Nationale del Baragello

 13世紀半ばに行政長官の館として建てられ、16世紀に司法長官(バルジェッロ)の役所兼邸宅として使用されるようになり、バルジェッロの名前が残りました。現在では、ミケランジェロ、ドナテッロなどルネッサンス期の彫刻が主に集められた重要な博物館です。
 下の写真は美術館の入り口と中庭の様子です。

ピサを倒すフィレンツェ Firenze trionfante su Pisa

ジャンボローニャ GIANBOLOGNA(Jean de Boulogne)

ヴェッキオ宮の「ピサを倒すフィレンツェ」はコピーで、こちらが本物です。

マーキュリー Mercurio volante

ジャンボローニャ GIANBOLOGNA(Jean de Boulogne)

聖ゲオルギウス San Giorgio

ドナテッロ Donatello
1416年頃 209cm 大理石
 「甲冑で身を固めた生気あふれる聖ゲオルギウス像・・・今にも動きそうな・・・」(ヴァザーリ)です。
 甲冑組合と刀剣組合のために作成された、ドナテッロの青年期の作品で、胸のマントの垂れ下がった結び目あたりに、ゴシック世界の名残が有るそうです。

▼ ドナテッロ

ダヴィデ David

ドナテッロ Donatello
1430年頃 185cm ブロンズ
 ダヴィデが打ち取ったゴリアーテの首に左足を乗せ、右手に剣を持っています。ヴァザーリは「この像は、きわめて自然でしなやかさを持っていたので、生きた人間から型取りされたものとしか見えなかった」と言っています。
 当初、メディチ=リッカルディ宮に置かれていました。
 ドナテッロは、プラクシテレス(紀元前4世紀のギリシアの彫刻家)から着想を得たと考えられています。

ダヴィデ David

ヴェロッキオ

イサクの犠牲 Sacrificio di Isacco

 フィリッポ・ブルネルスキ Brunelleschiの1401年の作品で、フィレンツェのドゥオーモ(大聖堂)西側の洗礼堂の扉のための出品作です。素材は金メッキをしたブロンズパネルです。
 左側は、神の命によりアブラハムが一人息子のイサクを殺そうとしているところに天使が駆けつけてます。右側では刃がまさにイサクの首にかかった瞬間に、天使がアブラハムの右手を止めています。

▼ ブルネルスキ
2.ミケランジェロ広場 Piazzale Michelangelo

 フィレンツェを展望できることで有名な、ミケランジェロ広場です。時間帯によっては(夕方?)観光バスが並びます。
 左の写真は、アルノ川を挟んで市街が広がっているのがわかります。写真の左側の橋はヴェッキオ橋です。右の写真は、ドゥオーモとジョットの鐘楼を撮影したものです。

広場中央にあるミケランジェロのダヴィデ像です。本物はアカデミア美術館にあります。

3.ピッティ宮殿 Palazzo Pitti

 フィレンツェの大商人ルーカ・ピッティが15世紀に造らせた私邸で、メディチ家のコジモ1世が妻エレオノーラの療養のために買い取りました。1859年より歴代のトスカーナ大公が住む宮廷となりました。

ボーボリ庭園 Giardino di Boboli

 ピッティ宮殿の裏手にあるイタリア式の庭園です。残念ながら、時間がなく中には入りませんでした。

ボーボリ庭園の入り口です。

ボーボリ庭園の入り口ドゥオーモを撮影したものです。

パラティーナ美術館 Galleria Palatina

  パラティーナ美術館はピッティ宮殿の2階にあり、トスカーナ大公のコレクションが展示されています。なかでも、ラファエロとティツィアーノは作品が有名です。

Atena Giustinian Gallery of StatuesとMichelangelo Fanciullo

 ヴァティカン博物館の「ジュスティアーニのアテネ」のコピーです。高さ202cmです。原型は紀元前5世紀にギリシアのアッティカで作成されたブロンズ像と考えられていて、この作品は2世紀中ごろの作品と思われます。アテネ神は、ギリシア神話の知恵と正義の女神で、ゼウスの頭から生まれました。

聖母子と聖アンナの生涯 Madonna con Gesu Bambino Sala di Prometeo

Madonna conGesu Bambino

フィリッポ・リッピ 1452年頃
テンペラ・板 直径135cm
 聖書とは別に、口承による伝説により、マリアの両親はアンナとヨアキムとされています。聖母子の背景はアンナの人生が描かれています。左手には、マリアの誕生が、右奥にはアンナとヨアキムの「金門(エルサレムの町)の出会い」が描かれています。

▼ 続き

布張り窓の聖母子 Madonna dell’Impanna Madonna col Bambino , S. Givannio e due Sante

Madonna dellImpanna Madonna col Bambino S. Givannio e due Sante

ラファエロ Raffaello Sanzio
160 x 126 cm
 ラファエロの助手が描いた部分が多くみられる作品です。ラファエロの手によると考えられている部分は、幼子イエスまたは聖エリザベツと言われています。
 左から、聖女カタリナ、聖エリザベツ、幼子イエス、聖母、洗礼者ヨハネです。

眠るアモル Amore Dormiente

Amore Dormiente

カラヴァッジョ Caravaggio 1608年
70 x 105 cm
 古代より人気のあるアモル(キューピット)を、苦渋に満ち神聖さを失ったイメージに描いています。何か病的な様相に見えます。

大公の聖母 La Madonna del Granduca

ラファエロ Raffaello Sanzio 1504年
油彩 キャンバス 84.4×55.9cm
 簡潔な構図で、その後のラファエロの描く「聖母子」の原型と考えられています。
 聖母子は、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響と考えられる暗い背景から浮かび上がってくるようです。幼子は、正面を向きながら、聖母にきつく腕を回していて、母子が愛情に溢れた感情で結ばれているのがわかります。
 トスカーナ大公のハプスブルク家のフェルディナンド3世によって購入されたので、この名前で呼ばれていますが、大公は、旅行に行くときも、この作品を携行していたそうです。

小椅子の聖母 Madonna della Seggiola

ラファエロ Raffaello Sanzio 1516年頃

 ラファエロの最も有名な作品の一つで、唯一フィレンツェの典型的な様式である円形(トンド)の構図に描かれています。
 母子の豊かな眼差し、豊かな色調、親密に絡む肉体など、それまでの「聖母子」像からの脱却が伺えます。
 聖母は、質素な衣装で、卑しい身分の生まれであるように見える幼子を優しく守る本能的な身ぶりが描かれています。

フェドラ・インギラーミの肖像 Ritratto di Tommaso’Fedra’ Inghirami

Ritratto di TommasoFedra Inghirami

ラファエロ Raffaello Sanzio
89.5 x 62.3 cm
 ボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館にも同じ作品が有り、どちらがラフエロの真の作品なのかという議論となっています。しかし、どちらも質的に優れた作品で、異なる点があるにしても些細なものでしかありません。ちなみに、ボストンの方が少し太っているそうです。

りんごを持つ若い男 Ritratto di giovane con pomo

Ritratto di giovane con pomo

ラファエロ Raffaello Sanzio 1505年
油彩 キャンバス 48×35.5cm
 モデルですが、仮説の1つは、教皇ユリウス2世の甥であり、1504年にウルビーノ公国の相続人に指名されたギドゥバルドとエリザベッタゴンザガの養子であるフランチェスコ・マリア・デッラ・ロヴェーレであるというものです。
 ラファエロの描く人物に見られる典型的な容貌の特徴が欠けているが、フランドル美術の分析的効果に関心を持った絵の構成のためと考えられています。

ラ・グラヴィータ(妊婦)la Gravida

Ritratto Feminile la Gravida

ラファエロ Raffaello Sanzio
油彩 キャンバス 66.8×52.7cm
 母になることを自覚して生まれくるわが子を待つ女性が描かれています。彼女は腹の上に手を置き、私たち鑑賞者の方をじっと見つめています。
 全体にまるまるとした玉のような量感を示し、各部分はそれぞれが均衡を保っています。そして、そこに、色彩のすぐれた感覚が加わっています。

ヴェールの女 La Velata 第29室 Sala di Giove

La Velata

ラファエロ Raffaello Sanzio 1512年
油彩 キャンバス 82×60.5cm

 ヴェールは既婚女性を意味していますが、誰がモデルなのかは確定していません。ヴァザーリによれば、フィレンツェの商人マッテオ・ボッティの家で見たとのことです。ラファエロが生涯を通して愛したラ・フォルマリーナとして知られる粉屋の娘マルゲリータ・ルーティに特徴が似ているといわれていますが、ガウンや宝石から若い貴婦人とも考えられています。

▼ ラファエロ

ピエタ Compianto sul Cristo morto と 人間の3つの時代 La tre era del’ Uomo

左の「ピエタ」はバルトロメオの作品、右の「人間の3つの時代」はジョルジョーネの作品です。

マグダラのマリア Santa Maria Maddalena Sala di Apollo

Santa Maria Maddalena

ティツィアーノ Tiziano Vecellio
1531~1535年頃 油彩キャンバス
85.8×69.5cm
 悔い改めるマグダラのマリアです。ティツィアーノがしばしば題材としたテーマで、新約聖書に出てくる売春婦マグダラのマリアが過去の過ちを悔い改める物語です。
 マグダラのマリアを特徴づける香壺が画面左下にありますが、ティツィアーノのサインが有ります。

▼ ティツィアーノ

カノーヴァのウェヌス・イタリカ Canova Venere Italica

アントニオ・カノーヴァ Antonio Canova
 「恥じらいのヴィーナス」と言われる伝統的なポーズのヴィーナス像です。
 ナポレオンがイタリアを占領したとき、数多くの美術作品をフランスに持ってゆきました。その中に、ウフィツィ美術館のメディチのヴィーナスも含まれていました。
 カノーヴァは、メディチのヴィーナスの不在を埋めるためだけでなく、国民感情を支えるために、この作品を作り、名前を「イタリアのヴィーナス」の意味の「Venre Italica」としました。

▼ アントニオ・カノーヴァ

参考にした図書、URL
 世界の名画1000の偉業 二玄社 ヴィクトリア・チャールズ氏他3名
                小川彩子氏他 9名
 イタリア・ルネッサンスの巨匠たち 7 ブルネレスキ 東京書
    ジョヴァンニ・ファネッリ氏 児嶋芳枝氏
 イタリア・ルネッサンスの巨匠たち 8 ドナテッロ 東京書
    ジョヴァンナ・ガエタ・ベルテラ氏 芳野明氏
 イタリア・ルネッサンスの巨匠たち20 ラファエロ 東京書籍
    ブルーノ・サンティ氏 石原宏氏
 イタリア・ルネッサンスの巨匠たち29 カラヴァッジョ 東京書籍
    ジョルジョ・ボンサンティ氏 野村幸弘氏
 NHK まいにちイタリア語 24 bellezze vell’arte 池上英洋氏、アレッサンドロ・クイーディ氏
 地球の歩き方 フィレンツェとトスカーナ
https://www.uffizi.it/opere (ウッフィツィ美術館とパラティーナ美術館)

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