Milano 古代地区

Basilica di Sant'ambrogio ミラノ

 この頁では、ミラノの古代地区を巡ってみます。ファッションの街ミラノで古代地域は似合わない感じもありますが、ローマ時代の重要拠点であったミラノには古代遺跡も残されているのです。
 スタートはミラノの守護聖人アンブロージョを祀るサンタンブロージョ聖堂 Basilica Sant’Ambrogioから、古代ローマ円形競技場 Anfiteatro di Milanoの遺跡、ティチネーゼ門 Arco di Porta Ticinese、サン・ロレンツオ・マッジョーレ教会 San Lorenzo Maggiore、ローマ時代の城跡 Resti di un edifico del Palazzo Imperialeとドゥオモの西側地区をグルっと回ってみます。

サンタンブロージョ聖堂 Basilica Sant’Ambrogio

 ミラノの守護聖人アンブロージョを祀る最古の聖堂です。386年にアンブロージョ自身によって建設され、9世紀~11世紀に、ロンバルディア・ロマネスク様式で再建されました。

 2つの鐘楼を左右に持つサンタンブロージョ聖堂の三角形の正面のです。

▼ アンブロージョ

古代ローマ円形競技場 Anfiteatro di Milano

Anfiteatro di Milano

 古代ローマ時代の円形競技場です。紀元1世紀に作成され、3世紀~4世紀までは存在したようですが、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会等の石切り場となってしまいました。とても残念です。
 写真は復元図ですが、155m X 125 mあったようです。ちなみに、ローマのコロッセオは188m X 156mです。また、ヴェローナのアレーナは139m X 110 mです。

 ミラノの街中に円形競技場の僅かな遺跡が保存されています。

ティチネーゼ門 Arco di Porta Ticinese

 旧市街の南側に位置しナヴィリオ運河のそばの門です。中世に建設され、1861年に建て替えられたものです。

 ティチネーゼ門のそばのナヴィリオ運河です。かつては街を取り巻くように水路が広がっていて、ミラノの経済・交通に欠かせないものでしたが、今はこの地区が残るのみとなっています。

 もう一つのティチネーゼ門です。サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会のそばに有ります。
 こちらは、中世12世紀頃に建設されたものです。

サン・ロレンツオ・マッジョーレ教会 San Lorenzo Maggiore

 教会は、4~5世紀の建築です。広場中央の像はリキニウス帝と共にミラノ勅令(313年)を発布して、それまで迫害されていたキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝のブロンズ像です。(これは複製でオリジナルはローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に有ります。)

教会内部の「最後の晩餐」のフレスコ画と「ピエタ」像です。

教会の内部の様子です。

 教会を背にして撮った写真です。古代ローマ時代のコリント式の列柱(16本)が並びます。

ローマ時代の城跡 Resti di un edifico del Palazzo Imperiale

 ローマ時代のミラノの城跡です。ミラノは西ローマ帝国の主要都市でした。ゲルマン民族の進行に苦しみ476年西ローマ帝国は崩壊します。ゲルマン民族による破壊なのか、キリスト教会の石切り場になったのかはわかりませんが、往時の姿はありません。

 ローマ時代の城壁の塔の内部です。
上の復元図のような感じで、24面柱でした。
 ミラノの考古学博物館に入館すると塔の内部に入ることができます。約1700年前の塔の内部です。写真では伝わりませんが、かなり感動でした。

 こちらも塔の内部です。

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