Roma オスティア

Ostia Antica ローマ

 オスティアはポンペイ遺跡ほど有名ではありませんが、ポンペイ同様に古代の街全体の遺跡が保存されています。しかも、この遺跡はローマから日帰りできる古代遺跡なのです。さらに、管理が緩いので、遺跡と一体になることができます。ローマ人に扮して、遺跡の中で写真を撮れば、楽しい思い出になるかもしれません。

▼ オスティア・アンティカの歴史

オスティア・アンティカへ

 左の写真は、Ostia Antica駅です。
 ローマからだと、地下鉄B線でピラミデ(Piramide)駅まで行き、オスティア・リド線に乗り換えOstia Antica駅で下車します。駅を出ると歩道橋(?)(右写真)があるので、それを超えて真直ぐ行くとスカヴィ通り(Viale degli Scavi)にぶつかりますので、左に曲がりしばらく進むと事務所を見つけることができます。所要時間、約6分です。

 上図は、事務所でオーディオ・ガイドを借りた時にくれた地図です。右側から入って、街中を散策します。青丸を回るだけで3時間、緑丸を加えると7時間だそうです。遺跡を探しながら3時間はかなり辛いでしょう。少なくとも、私にはきつかったです。

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4.デクマーノ・マッシモ「Decumano Massimo」
Decumano-MassimoIMG

 デクマーノ・マッシモは街の中心を東西に走る約9m幅、1.5kmの通りです。
 両サイド、劇場・フォロ等の重要な建物や、富裕層の邸宅が並んでいました。

 ローマ門(Porta Romano)(上地図の❸)を入ると左側の広場に有翼のミネルヴァ神の像がぽつんとあります。紀元1世紀の作品です。
 右側は、大通りデクマーノ・マッシモのど真ん中に掘られた井戸です。紀元5世紀頃に作られたもので、街が寂れ水道が使えなくなってやむなく堀られたものらしいです。街の衰退の象徴です。

▼ ミネルヴァ…
5.ネプチューンの浴場 Terme di Nettuno

 ネプチューン浴場には左側の写真のようなモザイク画があるそうですけど、残念ながら、2020年2月9日は右側のように養生中でした。ネプチューン浴場はハドリアヌス帝時代(在位117-138)に建設が始まりアントニヌス・ピウス帝(138-161)の時に完成しました。

 ネプチューン浴場はローマの浴場と同じように、浴室はもちろん、運動場、マッサージ施設、トレーニング室が完備されていました、もしかしたら図書館も有ったもしれません。左の写真は浴室棟です。右の写真は運動場で、その向こうに見えるのが、休憩室、マッサージ室やトレーニング室だったそうです。
 このネプチューン浴場はオスティアの中では最も大きな浴場の一つですが、オスティアの街には約20もの浴場があったそうです。

7.消防士の宿舎 Caserma dei Vigili

 ネプチューン浴場の北側に位置した消防士の宿舎です。クラウディウス帝(在位41-54)によって軍隊から区分されて消防隊が作られました。そして、ハドリアヌス帝の137年にこの2階建ての宿舎が作られました。

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 上の2枚の写真は、広場から中心の建物の前に建てられていた列柱を撮影したものです。残念ながら、こちらも床のモザイク画は養生中でした。

10.劇場 Teatro

 左の図が劇場のイメージ図です。右側の写真は劇場の外側から撮影したもので、階段を登って劇場に入って行きます。この劇場は紀元前1世紀の終わりにアウグストゥス帝(在位 B.C. 27- A.D. 14)によって建設され、コンモドゥス帝(在位 180-192)が拡張し、セプティミウス・セウェルス(在位 193-211)が再建しました。

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 劇場の内側です。4000人収容することができたそうです。
 写真では、何人かの学生が何か演じ、その友達が観客となって拍手をしていました。いくつかの古代ローマの劇場跡では、今でも催しに使われていると聞きますが、この劇場もまだまだ使えそうです。
 右の写真は、劇場に飾られた大理石の仮面です。実際の劇の中でも、観客から役者の役割がわかるように仮面が使われていたそうです。ただ、この写真の仮面ではなく、軽い仮面が使われていました。

11.同業組合広場 Piazza delle Corporazioni

 左の写真は、劇場から撮った同業組合の広場です。アウグストゥス帝(在位 B.C. 27- A.D. 14)によって建設された当初は、劇場の観客の散策や休憩のためのものでした。
 2世紀から3世紀にかけて今のようになり、経済と商業の中心地として、小売店主、職人、商人の同業組合の事務所が建設されました。それらは、オスティアを通る地中海全体の商人との取引に使われたとようです。
 広場中央に神殿跡があります(右写真)。多分、農業の神、商売繁盛の神のデメテル(ケレス)を祭っていたのではないかと考えられています。

12.洗濯屋 Fullonica su via degli Augustali

 洗濯屋の遺跡です。手でなくて足で洗っていたんですね。洗濯板のイメージとは全然違います。

14.五穀豊穣の女神の家 Domus della Fortuna Annonaria

 ドムスですから上流階級のお金持ちのお屋敷です。左上のガイドにあるようにとても大きなお屋敷です。写真だとわかり辛いですけど、右上と左下写真から広そうな屋敷だったことが少しはわかっていただけるかと思います。

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21.居酒屋 Thermopolium

 タベルナ(居酒屋)です。やはり、ローマ人もお酒が好きだったのでしょうね。上の写真は、外から店の中をのぞいた感じです。左の写真のセンターにある大理石の設備は、お客さんに料理を出すカウンターであり、食器類の洗い場だったようです。

 左の写真のカウンターは、お客さん用ではないでしょうか。その上の絵は提供していた料理の絵です。右の写真は併設されている中庭です。天気の良い日は、ここで飲んだりしていたのでしょう。ローマ時代タベルナでは、今のバールのように立って飲み食いしてたそうです。

24.公共広場とカピトリウム Foro e Capitorium

 オスティアの街の政治・社会生活の中心であった公共広場とカビトリウムです。左写真奥のカビトリウムはローマカピトリーノの3神(ユピテル、ユノ、ミネルヴァ)を祭る神殿に倣って120年頃に建設されました。レンガと大理石の装飾で造られていましたが、大理石の装飾は今はなくなっています。

29.公共広場浴場 Terme del Folo

 中央広場の南側の浴場です。2世紀中頃に建設されました。遺跡から発見された破片には「痛みを和らげる風呂」という碑文も有ったそうです。

 浴場のトイレです。左の写真の絵のように、穴の開いたところに座り用を済ませていました。トルコの遺跡でも同じようなトイレがありましたが、女性用は有ったのでしょうか?

38.キューピットとプシケの家 Domus di Amore e Psiche

 こちらもお金持ちの邸宅です。
 キュピットはローマ神話の愛の神、ギリシア神話のエロスで、アフロディーテの息子です。プシケはとある国の王女です。

▼ キューピットとプシケの物語…
44.七賢人の浴場 Terme del Sette Sapienti

 7人の賢者の壁画が有るそうです。下のモザイク画に気を取られていて、見逃してしまいました。いつか、アップデートしたいです。
 真ん中には、排水口も設置されています。

45. 戦車御者の集合住宅 Caseggiato Degli Aurighi

 戦車御者が住んでいたわけではなく、戦車と御者の壁画が上の写真のように残っています。タイトルがCaseggiatoとなっていますが、本によってはインスラ(集合住宅)となっています。ローマでは5~6階建てに規制された時期があったようなので、多分そんような建物だったのでしょう。
 集合住宅ということなので、上流階級ではない人達が住んでいるというイメージでしたが、この壁画や右下のモザイクと言い、ちゃんと文化的な生活を送っていたんですね。

53.トラヤヌス同業者組合の大庭園 Schola del Triano

 この庭園でトラヤヌスの彫像が見つかったため「トラヤヌスの」となっていますが、船大工組合の建物・庭園だったと考えられています。
 建設は、アントニウス・ピウス帝(在位 138-161)時代の2世紀中頃です。

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60. 御者浴場 Terme dei Cisiarii

 馬車と御者のモザイク画がある浴場です。右の写真の右側に下半身がウミヘビのような人の上に馬車と二人の客を乗せた御者のモザイク画があるのですが、ちょっと写真が悪いですね。
 この浴場は、ローマ門(❸)を過ぎると直ぐ右側にある浴場です。でも、配られるパンプレットは60番です。帰りに訪れることを想定しているみたいですね。

「地球の歩き方 ローマ」
「ローマ古代散歩」小森谷慶子氏・小森谷賢二氏著 トンボの本
「ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROMA」事務所で購入したガイドブック

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