Roma テルミニ駅周辺

Palazzo Massiom alle Terme ローマ

 ローマテルミニ駅周辺のおすすめスポットを紹介します。
 テルミニ駅のバスターミナルの先にあるディオクレティアヌス浴場をスタートして、同じく国立博物館のマッシモ宮、36本の大理石により荘厳な雰囲気のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へと進みます。そしてカブール通りを散歩しながら、最後にミケランジェロのモーゼ像で有名なサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へと向かいます。

1.ディオクレティアヌス浴場 Terme di Diocleziano

 298~309年に、ディオクレテイアヌス帝(在位 284-305 )の命により作られた浴場です。 テルミニ駅の真正面に位置していて、ローマ国立博物館の一部としての紀元前1世紀からの石碑を展示する部門と、古代ローマ人の生活の博物館となっています。

 玄関に置かれた噴水です。暗かったせいかもしれませんが、かなりの存在感がありました。

 「ミケランジェロ回廊 Chiostro di Michelangelo」です。中庭を囲むように造られています。100本の柱が使われているそうです。

2.マッシモ宮 Palazzo Massimo alle Terme

 ディオクレティアヌスの浴場から共和国広場に向かって進むと左手にあります。こちらも、ローマ国立博物館の一つで、紀元前2世紀から紀元4世紀の彫刻とモザイク、フレスコ画が展示されています。

 入館すると、出迎えてくれるのがこのミネルヴァ(アテネ)像です。紀元前1世紀末から紀元1世紀初頭の作品です。

「ラビカーナ通りのアウグストゥス帝 Augusto dalla via Labicana」

 このアウグストゥス帝も若いですね。ヴァチカンの「プリマ・ポルタのアウグストゥス帝」は軍服姿でしたが、こちらは神官職の最高位である大神祇官姿でトーガを着ています。

「傷ついたニオベの娘 Niobide ferita」

 アポロの矢が突き刺ささり、その矢を抜こうとしているニオベの娘の彫像です。
 この彫像は紀元前440-430年の作品でギリシア神殿のペディメント(破風)を飾っていましたが、アウグストゥス帝時代にローマに運ばれました。
 哲学者であり、文化史家である和辻哲郎氏に、「ギリシア彫刻の絶頂時代を思わせる」、「裸体彫刻を見てこれほど美しいと思ったことは一度もない」と言わしめた作品です。

▼ 神話

「メノファントスのサイン入りアフロディーテ Statua di Afrodite con la firma di Menophantos」

 紀元前1世紀にメノファントスが作成したTrodのアフロディーテの模刻です。1760年頃、ローマのサン・グレゴリ・アル・チェリオ教会の近くで見つかりました。
 こちらも、クニドスの「恥じらいのヴィーナス」型です。

▼ 説明

「メルポメネの女神 Statua della Musa Melpomenne」

 メルポメネはユピテル(ゼウス)とムネモシュネの9人の娘(Musa)の一人で、芸術と科学の神で、アポロ神の子分達です。博物館・美術館のイタリア語のMuseoは「tempio delle Muse ムーサ達の神殿」からきています。英語のMuseumも同じです。
 この彫像は紀元前1世紀の作品で、左手に悲劇のマスクを持っていたと思われます。


 

「ティヴォリの将軍 Generale di Tivoli」

 若者の身体を持つ老将軍です。このスタイルは、紀元前2世紀から始まるヘレニズム時代の「英雄の裸体」に由来しています。
 また、独裁者スッラの時代に建設されたヘラクレス寺院の基礎で見つかっていおり、彫像のスタイル、発見場所を考慮すると紀元全90-70年のものであろうと思われるとのことです。
 また、モデルですが、スッラの副官ではないかとも考えられています。

2階は多数の彫像が並びます。

「眠れるヘルマフロディート Ermafrodito addormentato」

 ヘルマフロディートはヘルメスとアフロディーテの子供です。「hermaphrodite 両性具有者」の語源ですが、もともとは母親似の美男子でした。サルマキスという女性に強引に犯され一体化したために両性具有者になったのです。
 B.C.2世紀中期のギリシアのブロンズ像のコピーで、A.D.2世紀中期の作品です。

 上の写真だけを見ているととても美しいのですけどね。下の写真に男性のものがしっかりあります。

「円盤投げ Discobolo Lancellotti」 高さ148cm

ギリシアの彫刻家ミュロンのB.C.450年のブロンズ像のコピーです。
 円盤を投げるのに遠心力を使うために、後ろに大きく振り上げた瞬間を捉えたものです。でも、スポーツ経験のある方、特に球技経験のある方には、不思議な彫像です。右足が前に来ています。普通はあり得ないですね。多分、ミュロンも分かっていたと思います。美・躍動感を追求した結果がこのスタイルになったのかもしれません。確かに、すぐに円盤が勢いよく飛んで行きそうです。

 円盤を持たずに自分で素振りしてみました。この後、体重を前方に預けながら、左足を踏み込んだらいけるかもと。しかし、左足の指の向きだと、骨折しそうです。

「アンツィオの乙女 Fanciulla di Anzio」

 この美しい彫像は、ヘレニズム時代初期のB.C. 3世紀中頃の作品です。小アジアで作成され、お酒の神様バッカス(ディオニソス)の祭壇に奉納されたものですが、その後、ローマ皇帝の別荘に飾られるようになりました。
 この彫像は、酒神バッカス(ディオニュソス)崇拝者の野外儀式(野外パーティー)に参加している少女を表現しているものと考えられています。トレイらしきものを持っているので、お酒を配っていたのでしょうか?(未成年そうなので。)

「アルテミス神の装束をした少女 Giovinetta in vesti di Artemide」

 短いトゥニカ。、狩猟用ブーツとアルテミス神の装束をした少女像です。まさに、弓矢を矢筒から取ろうとして右手を挙げています。また、左足の傍に残っている引綱から犬を連れているようです。
この彫像は、多分早世した娘の代わりに造られたのではと言われています。

 オスティアで発見された紀元1世紀の作品です。

「ポルトナッチョの石棺 Il Sarcofago di Portonaccio」

 1931年にローマポルトナッチョ地区で発見された大理石の石棺で、驚くほど、精巧に作成され、綺麗に彫刻が保存されています。
 この石棺の彫刻は、マルクス・アウレリウスの記念柱と同じで、ゲルマニアとの戦いの様子が彫刻されているそうで、マルクス・アウレリウスの部下の墓ではないかといわれています。
 180年頃に制作されたものです。

「ムーサの石棺Sarcofago con le Muse」

「ルーブル美術館」URLによると、B.C. 4世紀のギリシアの信仰では、ムーサからの着想により支えられた芸術と文学活動は、あの世での死者の通過の助けになり魂の救済を保証すると考えられていたようです。

▼ 続き


3階には、フレスコ画や壁絵が展示されています。

「リヴィアの家のフレスコ画 Villa di Livia」

 部屋全体が草花と小鳥に満たされた壁画でいっぱいに広がっています。初めてこの展示室に入ったとき、題材もタッチも全然違いますが、パリのオランジュリー美術館のモネの睡蓮を思い出しました。紀元前20年~10年の作品だそうですが、当時の状態で観てみたいと思いました。
 ちなみに、リヴィアの家は公開されているパラティーノの丘ではなく、プリマ・ポルタのリヴィア邸です。

3.サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 S. Maria Maggiore

 356年の夏、法王リベリウスが「雪の降る地に聖堂を建てよ」と告げる聖母の夢を見たそうです。実際に雪が降ったこの地にこの聖堂を建てたとか。そして、毎年8月5日はバオリーナ礼拝堂の天井から白い花びらがまかれるそうです。

 大聖堂とは関係ありませんが、写真の右手の道路を渡った辺りのビルの地下にSmaというスーパーがあります。テルミニ駅の地下のスーパーより広いので、お土産を買うのであればお勧めです。

 左上の写真は、1585年ドメニコ・フォンターナが法王シクストゥス5世のために造った「システィーナ礼拝堂」です。残念ながら、修復中のためか、金色の聖体用祭壇は写っていません。
 右上の写真は、フェルディナンド・フーガ作の天蓋です。この祭壇下に、この大聖堂の最も重要な聖遺物で、ベツレヘムでキリスト誕生の際に眠ったかいば桶の木片が収められているそうです。

「マリアの戴冠 Incoronazione di Maria」

 13世紀末ヤコボ・トッリティ作のアプシス(後陣)のモザイク「マリアの戴冠 Incoronazione di Maria」です。優美で色彩に満ちたローマ・モザイクの代表作です。

 大聖堂の中央廊の様子です。36本の大理石の柱で仕切られています。柱の配列、天井の飾りは、とても荘厳な雰囲気を作り出しています。

4.サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会 San Pietro in Vincoli

 聖ペトロがエルサレムで牢につながれていた時の鎖を祀るために、5世紀に建てられ、15世紀に再建されたそうです。また、その「鎖」は主祭壇の下に収められているそうです。

 上の左図は、カブール通りからの教会に向かう階段です。この階段を登ってトンネルを超えると右の写真の教会が現れます。

 この教会は、ミケランジェロのモーゼ像で有名です。
 1505年法王ピウス2世が、ミケランジェロに墓の制作を依頼しましたが、その後、ピウス2世は墓の制作を中断しました。ようやく出来上がったのが、左のモーゼ像と2対の奴隷の像です。
 実際(?)は知りませんが、システィーナ礼拝堂の最後の晩餐のイエスと言い、このモーゼ像と言い、かなりのマッチョです。ヴァチカン博物館の「ベルヴェデーレのトルソ」を思い出します。ギリシア彫刻の影響を受けているのではないでしょうか。

参考にした図書、URL
「イタリア古寺巡礼」 和辻哲郎氏著
「地球の歩き方 ローマ」
「美の起源、古代ギリシャ・ローマ 高田昌枝氏 阪急コミュニケーションズ」
「世界の彫刻1000の偉業 ジョセフ・マンカ氏他 二玄社」
ウィキペディア-「クニドスのアフロディーテ」
ウィキペディア-ムーサ
ルーブル美術館-ムーサの石棺

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