Roma ポポロ広場 ~ スペイン広場

ポポロ広場 ~ スペイン広場 ローマ

 このページでは、ローマへの北の入り口、ポポロ広場からピンチョの丘サンタ・マリア・デル・ポポロ教会アラ・バチス (平和の祭壇)コンドッティ通りスペイン広場と観てゆきます。

ポポロ広場 Piazza del Popolo

 かつて、北のフラミニア通りからローマに入城する際に通ったポポロ門(フラミニオ門)の内側に位置する広場です。

 広場中央に位置するオベリスクは、巡礼者の道標として、1589年ローマ教皇シクストゥス5世により、チルコ・マッシモからこの広場に移設されました。 台座を含めると36.5mもあります。
 このオベリスクは、ラムセス2世がBC1200年頃に作らせたもので、アウグストゥスが戦利品としてローマに持ち帰ったと言われています。

 フラミニオ門をくぐり、広場の反対側にある双子の教会、「サンタ・マリア・イン・モンテサント協会」と「サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ協会」で、両協会の左・真ん中・右の3つの通りを通ってローマに入ります。
 両協会の間の通りが中世の目抜き通りだったコルソ通り(Via del Corso)、左側がスペイン広場に通じるバブイーノ通り(Via del Babuino)、右側がアラ・パチス(L’Ara Pacis)・ テヴェレ川 (Tevere)に通じるリペッタ通り(Via del ipetta)です。

▼ 余談
▼ さらに余談

ピンチョの丘 Monte Pincho

 とても眺めの良い丘です。ポポロ門(フラミニオ門)を背にしてポポロ広場に向かって左手から、サンタ・マリア・デル・ポポロ協会の脇を登ってゆきます。近いので、是非、登っていただきたいです。

 眼下に、ポポロ広場が見渡せます。

 遠くにはミケランジェロによるサンピエトロ大聖堂のクーボラを望むことができます。

 どうでもいい話ですが、この丘、アベックが多いです。

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 Santa Maria del Popolo

 まるで美術館のようだといわれているサンタ・マリア・デル・ポポロ協会です。1099年法王バスカリス2世がポポロ門(フラミニオ門)の脇に建てさせた聖母マリアにささげるための小さな教会です。建設資金をローマ市民(イタリア語でpopolo)が負担したので、こういう名前になったそうです。協会はポポロ門を入ってすぐ左手に有ります。

▼ 続き
Santa-Maria-del-Popolo
サンタ・マリア・デル・ポポロ協会

  サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 Santa Maria del Popoloの外観です。

 チェラージ礼拝堂のカラヴァッジョの絵画 「聖パオロの改宗Conversione di S. Paolo」です。
 キリスト教を迫害していたパオロが「なぜ、私を迫害するのか」というイエスの言葉を聞く場面です。倒れて両手を上げるパオロに光が当たり、明暗の対比がなされています。

▼ 続き

 同じくチェラージ礼拝堂のカラヴァッジョの絵画「聖ピエトロの逆さ磔Crocifissione di S. Pietro」です。聖ピエトロが逆さ磔にされる場面です。聖ピエトロを支えるように十字架を起こしている男性の足の裏につくドロなどとてもリアルに描かれています。これまでの宗教画にはドロのついた足の裏を描くということはありませんでした。実際にカラヴァッジョは教会から受け取り拒否されることがしばしばあったそうです。
 だだし、汚れた足の裏のモチーフは、宗教画の世界と現実の世界と繋がっていることを認識させるサインと解釈されているそうです。

 「聖パオロの改宗Conversione di S. Paolo」ともに、1601年~1602年に描かれたもので、彼の円熟期の作品です。

LAssunzione-della-Vergine-di-Annibale

 これはこの2つのカラヴァッジョの絵画の間に展示されているアンニバーレ・カラッチの「 聖母被昇天 」です。

 次に、ラファエロの設計したキージー家の礼拝堂(下)と彼が下絵した天井モザイク(左)です。

 キージー家の礼拝堂に向かって左側に「ダニエルとライオン」、右側に「預言者ハバククと天使」の彫刻が置かれています。

 バビロンに捕らえられた(バビロン捕囚)ユダヤ人の預言者ダニエルがバビロンの王の怒りをかい、ライオンの棲む洞窟に放り込まれてしまいました。神は天使を使わし、食べ物を持つ預言者ハバククをダニエルのもとに連れて行かせました。これにより、ダニエルは命拾いをしたというお話です。

 上の写真は、「幼子のキリスト礼拝」、「マドンナ・デル・ポポロ」
 私の写真は出来が良くありません。サンタ・マリア・デル・ポポロ協会のURLを貼り付けましたので、是非その素晴らしさをご確認ください。

アラ・バチス (平和の祭壇) Museo dell’Ara Pacis

 ポポロ広場から右側リペッタ通り(Via del ipetta)を進むとアラ・パチスに辿り着きます。

 アラ・バチス(平和の祭壇)は、長く続いた市民戦争の終結を記念すると同時に、 アウグストゥス帝の功績を称えるために、紀元前9年に元老院により奉献されたもので、市民に再び訪れた「平和」と皇帝に対する「礼賛」を記すという2つの側面を持っています。あちこちに散っていた断片や、発掘によって回収された部分に、足りないところを補って1970年に再現されました。

 博物館の正面の写真です。

 アウグストゥス(左)及びアグリッパ(右)の彫刻です。
 アグリッパを入れたのは、パンテオンの建設者で私の好きな武将だからです。特に深い意味はありません。

 アラ・パチスの正面です。幅は10.7mあります。

 アラ・パチスの側面および模様の一部です。

 HBOとBBCの協同制作の「ROME」というドラマがあります。カエサルがガリアからルビコン川を渡り、アウグストゥスがアントニウス・クレオパトラの連合軍に勝利するまでの物語です。今ではDVDも安くなっていますし、Amazon Primeでも観ることができます。史実に忠実かどうかは別として、当時の雰囲気がよくわかります。

コンドッティ通り Via Condotti

 リベッタ通りを進むとテヴェレ川のカヴール橋に出ます。それを左に曲がってトマチェッリ通りを進むとコンドッティ通りにぶつかります。
 コンドッティ通りはブランド店が並ぶローマ一のショッピングストリートです。

 写真は10月の夜7時くらいの写真です。お店の写真は入れていませんが、人通りが多くとても賑やかな通りでした。

 更に、この道を進むとスペイン広場に出ます。
 写りが良くないですが、写真の向こうに見えるのがスペイン階段の上にあるサルスティアーノ・オベリスクです。

スペイン広場(Piazza di Spagna)

 このページの最終目的地スペイン広場です。
  スペイン階段は1723年にフランスの外交官の寄付によって建設されましたが、近くにスペイン大使館があったためこう呼ばれるようになったそうです。

▼ 続き

 写真は10月の夜7時頃の写真です。左側の写真は広場からスペイン階段を撮ったもので、右側の写真は階段の上からスペイン広場を撮ったものです。

 写真2020年2月10日の昼間のものです。左側の写真は広場から噴水越しにスペイン階段を撮ったもので、右側の写真は階段の上からスペイン広場を撮ったものです。右写真の噴水の向こうがコンドッティ通りです。多くの人がスペイン広場にも、スペイン階段にもいます。この2週間後には、人気のないスペイン階段をテレビで何度も観ることになりました。

参照した図書、URL
「地球の歩き方 ローマ」
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 Santa Maria del Popolo

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