Roma トレヴィの泉 ~ ナヴォーナ広場

Trono-Ludovisi ローマ
ルドヴィシの玉座

 スペイン階段を左手に、スペイン広場からバヴイーノ通り ( Via Babuino )、プロパガンダ 通り( Via Propaganda )とまっすぐ進むと、バス停のあるトリトーネ通り (Via del Tritone ) にぶつかります。それを横切ってまっすぐ行くと有名なトレヴィの泉に出ます。
 このページでは、トレヴィの泉マルクス・アウレリウスの記念柱パンテオンサン・ルイージ・デイ・フランチェージ協会アルテンプス宮(ローマ国立博物館)ナヴォーナ広場を観てゆきます。

1.トレヴィの泉 Fontana di Trevi

 起源は、パンテオンのアグリッパが紀元前19年に敷設した水道「アクア・ヴェルジネ」に遡るそうです。その後、「蛮族の侵入」で破壊され、1453年に一部再建、1623にウルバヌス8世とベルニーニの再建がとん挫して、1730年クレメンス12世のもとコンクールで勝利したニコラ・サルヴィによって再建されました。

トレヴィの泉

 ポーリー宮 Palazzo Poli の壁面に勝利のアーチを背に立つネプチューン、左右に2頭の海馬、それを操るトリトンです。

 トレヴィの泉の魅力は、噴水・彫刻の美しさもさることながら、何といってもコインを「1枚投げるとローマに再び来ることができる」という願いが叶うといわれていることですね。ローマを観光するとまた来たくなるので、必ず立ち寄るスポットです。因みに、3枚投げるのは良くないらしいです。

2.マルクス・アウレリウスの記念注 Colonna di Marco Aurelio

 トレヴィの泉に向かって左手に少し進むと、コルソ通りにぶつかり、それを渡るとコロンナ広場 Piazza Colonna に出ます。マルクス・アウレリウスの記念柱はコロンナ広場にあります。

 五賢帝最後の皇帝、哲人皇帝マルクス・アウレリウス Marco Aurelio(在位:161~180) によるゲルマニアとのサルマシアでの戦いの勝利を記念して、息子のコモドゥスによって193年に建造されました。トラヤヌスの記念注を模して造られ、30mの柱の表面には、戦いのエピソードが彫られています。マルクス・アウレリウスは、カピトリーニ美術館内 Musei Capitolini e Pinacoteca に騎馬像が展示されております。当時は髭が流行っていたようで、彼も立派な髭をたくわえています。
 ちなみに、コモドゥス帝(在位:180~192)はグラディエータに出てくる皇帝です。獣の皮を被ってヘラクレスに扮した胸像は有名です。こちらも、カピトリーニ美術館内 Musei Capitolini e Pinacotecaに展示されています。

3.パンテオン Pantheon

 コルソ通りを背にして、記念注のあるコロンナ広場を抜け、道なりにコロンネッレ通りを少し進んで左折すると、パンテオンに出ます。ほんの4~5分です。
 パンテオンはアウグストゥス帝(在位:B.C. 27~A.D.14)の腹心であり娘婿のアグリッパにより、BC27年に建立されました。その後、80年に火災で焼失し、118年にハドリアヌス帝により再建されました。

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 下の写真は、パンテオンを正面から撮影したものです。三角破風の下には「M・AGRIPPA・LF・COS・TERTIVM・FECIT」(マルクス・アグリッパ、ルキウスの息子、三度目の執政官職にて建造)という碑文が見えます。

 パンテオン内部の様子です。外から見たのとは違い、内部は円形になっています。ハドリアヌス帝が再建したときに、方形から円形に造り変えられ、さらにこの上に巨大なドームが乗せられました。

 巨大なドームの頂上には直径9mの天窓が配置され、内部を明るく照らしています。

 ちなみに、建物は幅331m、奥行15.5mで、太さ4.5mのコリント式の花崗岩の円柱16本が並びます。ドームの高さ・直径はともに43.3mとサン・ピエトロ大聖堂のドーム(クーボラ)をしのぎます。

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 左の写真は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の子供のイタリア国王ウンベルト1世は(在位:1878年 – 1900年)の墓です。
 右の写真は、ラファエロの墓と石の聖母です。「石の聖母」はラファエロがロレンツェットに依頼したものです。

 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓とメロッツォ・ダ・フォルリ作のフレスコ画「受胎告知」です。
 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世はイタリア初代国王(在位:1861年 – 1878年)です。
 受胎告知はキリスト教絵画の有名なシーンですが、多くの作品は聖母マリアと天使ガブリエルが同じ顔に見えます。こちらも、そんな感じで少し残念でした。(私の眼が悪いのだと思いますが。)

4.サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会 San Luigi dei Francesi

 パンテオンとロトンダ広場を背にして左折し、ジュスティニアーニ通りまっすぐ行くとサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会 San Luigi dei Francesiに出ます。ほんの2~3分です。さらにまっすぐ行けば、ナヴォーナ広場 Piazza Navonaです。

 この教会にはカラヴァッジョの「聖マタイ伝」を題材にした三部作があり、「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」はカラヴァッジョ1600年の協会絵画デビュー作です。

協会の外観と中の様子です。


「聖マタイの召命」

 イエスとぺトロが徴税所(税務署)に出向き徴税官のレヴィ(マタイ)を召し出すシーンです。

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「聖マタイと天使」

 1602年の作品で、マタイが天使に教わりながら「マタイの福音書」を書く様子です。
 当時、聖マタイを描く場合、聖書を書いている場面を描くのが習わしでした。

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「聖マタイの殉教」

 エチオピアでの伝道中のマタイが王ヒルタクスの再婚に反対したため、怒った王は刺客を送りマタイを殺します。その後、信者が蜂起するのですが、左の絵は、殺されたマタイとそれに怒る信者の様子を描いたものです。

▼ カラヴッジョ

5.アルテンプス宮(ローマ国立博物館) Palazzo Altemps

 アルテンプス宮(ローマ国立博物館) Palazzo Altempsは、16世紀にこの館を所有したのがアルテンプス枢機卿でした。彼のコレクションの他、ボンコンパーニ・ルドヴィシのコレクションが集められています。

「ルドヴィシの玉座 Trono Ludovisi」

Trono-Ludovisi

 1887年にローマのヴィラ・ルドヴィシで発掘された、この博物館で最も有名な、紀元前5世紀のギリシア彫刻全盛期前夜の作品です。
 アフロディーテ(ヴィーナス)の神像が置かれたか、神殿の祭壇であったであろうと考えられています。

 玉座の正面は、ふたりの乙女に海から引き上げられるアフロディーテが刻まれています。ギリシア神話の「ヴィーナス誕生」です。
 良く見れば、中央のアフロディーテは着衣姿です。この時代は神様を裸にすることはなかったのです。

 側面には「香をたく乙女」と「吹く乙女」が刻まれ、アフロディーテを中心にすべてが対照をなしています。

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「ルドヴィシのヴィーナス」

 「恥じらいヴィーナス」型の「ルドヴィシのヴィーナス」です。ローマ時代のギリシア彫刻のコピーです。

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2階第34室
「水浴びするアフロディーテ Afrodite al bagno」

 紀元前3世紀ドイダラスの「うずくまるアフロデイーテ」型のブロンズ像のコピーで、紀元2世紀の作品だと言われています。大英博物館に、同じポーズの「Lely’s Venus (Aphrodite)」がありますが、顔の向きが違います。

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1階第7室
「竪琴を弾くアポロ Appolo Citaredo 」

 アポロ(アポロン)はユピテル(ゼウス)とラトナ(レト)の双子の子供(アルテミスとアポロ)の一人です。
 アポロは、神々の中で最も美しく、黄金の竪琴を持ち芸術の守護神とされ、芸術の女神ムーサたちを従えていました。
 また、弓矢の名人であり、さらには、人間に初めて医術を教えた神です。ローマ時代になると太陽神として崇められました。

 オリュンポスのスーパースターといったところですね。
 

2階第21室
「演説者ヘルメス Hermes Loghios」

 ギリシア神話の神様ヘルメスです。ユピテル(ゼウス)とマイアの子供で、伝令の神様です。伝令の他、多才で多面的な性格を持っています。
 ヘルメスは、生まれたその日にアポロンの牛を50頭盗むという暴挙に出ますが、その才能をユピテルにもアポロにも愛されました。

 紀元前5世紀のブロンズ像の模刻で、紀元1世紀の作品です。

2階第26室
「妻を殺して自害するガラティア人Galate suicida」 高さ211cm



 カエサルが発注したとされるペルガモンの彫刻の模刻です。オリジナルは、紀元前220年頃のペルガモンの作品です。
 ペルガモンは領土も小国でしたが文化保護で名を残した国です。そして、ギリシャ世界を脅かしていたガラティア人(アナトリア半島のケルト人)を前3世紀に撃退しました。彼らはこの戦勝を記念し、何体ものブロンズ像を神殿に奉納しました。これはその中の一つだったと考えられています。
 戦争に負けて、捕虜となり、奴隷となるのが嫌で、妻を殺して自殺しようとしているのでしょう。

「ルドヴィシの石棺」 153 X 273 X 137cm

 ローマ人とゲルマン人の戦いの様子を刻んだものです。ローマの博物館では、こうした浮彫の石棺をよく見かけます。その中でも、保存状態がとてもよく、戦いの様子がよくわかります。
 260年頃の作品です。

「ユノ(ヘラ) Juno (Hera)」

 最後に、怒らせたら怖そうなユピテル(ゼウス)の姉であり、奥さんユノ(ヘラ)です。Juneの語源です。
 この怖そうな顔は、あちこちで子供を作る夫のユピテル(ゼウス)に対する不満からかもしれません。

6.ナヴォーナ広場 Piazza Navona

 広場はドミティアヌス帝(在位:81~96)の競技場の跡地です。周囲はトラックのようになっており、実際私が行った時もトレーニングしている人を見かけました。地下には当時の遺跡があり見学ができるそうです。

 写真はナヴォーナ広場の外観です。 写真は朝早く撮ったものですが、昼間になると多くのローマ人と観光客でいっぱいです。



 広場に据え付けられたオベリスクで、マクセンティウス競技場から出土したものです。

 次の4枚は、オベリスクを支えるベルニーニの「四大河の噴水Fontana del Fiumi」です。四大河とはナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタの4つの川で、それらを表す像が乗っています。1枚目-右:ドナウ・左:ラプラタ、2枚目-右:ラプラタ・左:ナイル、3枚目の右:ナイル・左:ガンジス、4枚目-右:ガンジス・左:ドナウです。

 最後は、ベルニーニの下絵をもとにG.A.マーリーが作ったイルカと戦うムーア人の彫刻「ムーア人の噴水 Fontana del Moro」と1878年作の「ネプチューンの噴水 Fontana del Nettuno」です。

参照:
 「美の起源、古代ギリシア・ローマ 青野尚子氏 阪急コミュニケーションズ」
 「イタリア古寺巡礼 和辻哲朗氏 岩波文庫」
 「岩波美術館歴史館 第3室エーゲ海とギリシア・ローマ 美神世界 前川誠郎氏」
 「美術の物語 エルンスト・H・ゴンブリッチ氏著 河出書房新社」
 「古代ギリシャの美 芳賀京子氏 日本経済新聞」
 「東京藝大で教わる西洋美術の見かた 佐藤直樹氏 株式会社世界文化社」
 「The Story of Art 美術の歴史 エルンスト・H・ゴンブリッチ氏 河出書房新社」
 https://saintlouis-rome.net/
 http://iviaggidiraffaella.blogspot.com/2015/08/roma-il-museo-di-palazzo-altemps.html

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